どこよりもわかりやすい!!四柱推命の歴史☆
殷王朝
紀元前1400〜紀元前1300年
殷王朝では
亀の甲羅や獣骨に甲骨文字を刻んでおり、
干支を使っていた形跡があります。
中国戦国時代
紀元前305〜紀元前240年
鄒衍(すうえん)が相剋五行説を説きました。
200年後
前漢
紀元前77〜23
劉向(りゅうこう)・劉歆(りゅうきん)父子が相生五行説を説きました。
漢の時代には他にも
董仲舒(とうちゅうじょ)、司馬季主(しばきしゅ)、東方朔(とうほうさく)、厳君平(げんくんぺい)
などの儒学者や思想家がおりました。
隋
518〜618年
魏澹(ぎたん)、袁天綱(えんてんこう)、李淳風(りじゅんぷう)
といった学者らが陰陽五行を研究しました。
唐
618〜907
李虚中(りきょちゅう)、一行(いちぎょう)、李泌(りひ)
などの学者らが研究を進める中で
李虚中が、生まれた年・月・日・時の四柱を使うという四柱推命の基を作り始めました。
韓愈(かんゆ)が『殿中侍御史李君墓志銘』で李虚中を讃えています。
李虚中の跡を呂大夫(ろたいふ)が継ぎました。
宋
960〜1279
李虚中→呂大夫→からの流れを継いだ
命学の祖 徐子平(じょしへい)が
『珞琭子三命消息賦注』を書き、
さらにその流れを継いだ
徐大升が『淵海子平』を著しました。
この『淵海子平』が江戸時代中期に日本に伝わり、桜田虎門によって『推命書』に訳されました。
明
1368〜1644
劉基(劉伯温)が『滴天髄』を
萬民英(萬育吾)が『三命通會』を
張神峯(張楠)が『神峯通考・命理政宗』を
沈孝瞻が『子平眞詮』を著しました。
余春台の『窮通宝鑑』もこの明の時代です。
清
1616〜1912
陳素庵が『命理約言』を
袁樹珊が『命理探原』を
徐楽吾が『子平粹言』を書き、
星曜系・干支系の占術を集結した『星平會海全書』もこの頃書かれました。
三書
徐大升の『淵海子平』
劉基(劉伯温)の『滴天髄』
萬民英(萬育吾)の『三命通會』
合わせて【三書】と呼ばれます。
三大名著
劉基(劉伯温)の『滴天髄』
沈孝瞻の『子平眞詮』
余春台の『窮通宝鑑』
合わせて【三大名著】と呼ばれます。
「四柱推命」の名付け親
「四柱推命」と名付けたのは、松本義亮氏という日本人です。
彼は1862年幕末に生まれ、
明治時代に『淵海子平』と『星平會海全書』を研究しました。
自分で学校も作り本も出版し、四柱推命の普及に生涯を費やしました。
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