歴史を知ると訪れたくなる!!浅草寺の歴史☆
浅草と聞くと『雷門』のイメージが
湧いてきますよね?
しかし雷門だけ???
【浅草】の魅力を探しに、深堀りしていきます!!
「浅草」の語源
「浅草」の地名が歴史上初登場したのは
鎌倉時代に編纂された歴史書『吾妻鏡』
地名の由来には、3つの説があります。
- 草が浅く茂っていたから
- アイヌ語の「アツアクサ」
- チベット語の「アーシャ・クシャ」
アイヌ語の「アツアクサ」は海を越えるという意味
チベット語の「アーシャ・クシャ」は聖者のいる場所という意味
だそうで。どれも有り得そうですね。
浅草がお寺になった由来
聖徳太子の叔母・推古天皇の頃(飛鳥時代)
628年3月18日早朝
隅田川で漁をしていた漁師の
檜前 浜成(ひのくまの はまなり)と
檜前 竹成(ひのくまの たけなり)の兄弟が
一体の観音像を網で掬い上げました。
その後、土師 中知(はじの なかとも)という人物が、
その観音像が聖観世音菩薩像だということを知り、自宅を寺としたのが
浅草寺のはじまりです。
浅草寺を参拝した歴史上の人物
細かく調べると、ここに書ききれないほどかなり多くの人物が参拝していたことがわかりました。
代表として、知名度の高い人物だけを列挙していきます。
源頼朝 (鎌倉幕府)
1180年、平氏追討の戦勝祈願に参拝
1181年、鶴岡八幡宮の造営に浅草の宮大工を招く
1189年、奥州藤原氏追討祈願に田園を寄進
足利尊氏・持氏 (室町幕府)
足利尊氏(初代)
1352年、浅草寺へ参拝、寺領を安堵
足利持氏(4代)
1413年、経蔵を再建して寄進
北条氏綱 (戦国武将)
浅草寺を祈願所とし、1539年に堂塔を再建
徳川家康はじめ代々 (江戸幕府)
1590年、家康、江戸に入府。
慈眼大師天海の進言もあり、浅草寺が祈願所に定められる。
1600年9月1日、浅草寺の忠豪上人が江戸城に召され、関ヶ原の戦いの戦勝祈祷を命じられる。
以降代々、事ある毎に浅草寺に祈願。
【雷門】の正式名称
『雷門』の正式名称は【風雷神門】
その名の通り、門の左右に風神・雷神が居ます。
1804〜1818年(文化年間)の川柳に
「風の神 雷門に 居候(いそうろう)」
という句があり、
「雷門」という名称が使われ始めたのが、江戸時代後期ということがわかります。
戦争でほぼ焼失した浅草寺
歴史は古い浅草寺ですが、
1945年、戦争により、残念ながら
境内のほとんどの建造物(観音堂・五重塔・経蔵・宝蔵門)が焼失しました。
現在の観音堂は1958年に再建したもの
雷門は1865年にそもそも火事で焼失していましたが、1960年に再建
経蔵を兼ねた宝蔵門は1964年に再建
五重塔は戦前まで東側にありましたが、現在は反対の西側に、1973年に再建されました。
浅草寺より強い?!浅草神社♡
パワースポットと呼ばれる浅草寺ですが、
私はその隣の浅草神社の方が、圧倒的に強いパワーを感じます。
浅草神社は、浅草の始まりの由縁の
檜前浜成・竹成、土師中知の3名を祀るため
建てられた神社です。
土師中知の子孫が、夢の中でお告げがあり
平安時代末期〜鎌倉時代初期に創建しました。
現在の社殿は、1649年に徳川家光が建立。
なんと築373年!!!
境内にいる狛犬夫婦は
超強力な縁結びの力で大人気ですが、
彼らも1600年後半〜1700年前半の生まれということで、
300年以上連れ添った仲♡♡
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