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歴史オタクがどうして占い師になったのか?!不思議なご縁と私の使命

前回まで、占いに否定的だった私が

同棲解消の大失恋を機に、電話占いに命を賭けて電話し

仕事でトップになったものの周りに嫌われドクターストップで退職という流れを、旅行中たまたま寄った占い館でガッツリ当てられ

結果、占いに肯定的になりました

というお話をしました。

 

 

私は歴史オタクを肩書きにするほど

歴史が大好き!!なのですが、

 

そんな歴史オタクが“占い師”という職業に行き着いた過程を語ります。

 

 

高校時代、日本史の先生が歴史オタクだった

先生のお話が毎回とても面白かったです笑

週2〜3回の日本史の授業が、私の高校生活上なによりの楽しみになっていました。

 

おかげで、定期テストはいつも100点満点!

日本史は大好きで大得意になりました

(ちなみに数学はいつも赤点w)

 

 

社会人になった現在も、

趣味は歴史探究と史跡巡りなのです

 

 

22歳の夏、山本勘助にハマる

武田信玄VS上杉謙信『川中島の戦い』を調べていて、

武田信玄の軍師:山本勘助にハマりました。

 

 

山本勘助は軍略を立てる際”占い”を使いました。

宿曜占星術を使用したようです。

 

※ちなみに山本勘助は”江戸時代に書かれた『甲陽軍鑑』に名前が載っているのみ“で、出生や人物像の詳細は全く不明です(子孫という方々は存在しています)。

占いをやっていたというのもあくまで説です。

 

私は「易は知ってるけど、宿曜占星術とは?宿曜経とは?これをどう軍略に使うんだ?」と疑問になり調べていくうちに、

歴オタあるある

私もやってみたい!」衝動に駆られました。

 

ちゃんと使い方を勉強して占ったのは、

このときの宿曜占星術が初めて。

 

 

いろいろ調べていて、

教科書に載っている偉人の多くが占いを使用していたということを知り、

占いにどんどん興味が出てきました。

 

 

24歳の11月、京都で『六壬神課』と出会う

私は21歳〜25歳まで毎年、京都ひとり旅をしていました。

 

24歳の11月、京都旅行中に占いと深いご縁で結ばれたのです。

 

 

以前のブログでも書いた通り、

私は小学生の頃から安倍晴明が大好き

 

晴明神社☆ へ行って、

何かに書かれていた六壬神課(りくじんしんか)という四文字を見ました。

 

 

その翌日、

私は源義経も大好きなので、

鞍馬山に行きました。

 

 

この”霊宝殿“にて

 

《義経の師匠:鬼一法眼が、義経に兵法や剣術を伝授した》

という絵画の説明に、

また六壬神課という四文字が書いてありました。

 

 

2日間立て続けに見る初めましての謎の四文字。

 

平安時代の安倍晴明と、鎌倉時代の源義経。

 

違う時代の推したちが突然結びついてしまい、

その後の旅行中ずっと、私の頭の中は

六壬神課』でいっぱいになりました。

 

『六壬神課』を後世へ繋ぐため占い師になることを決める

帰宅してから六壬神課(りくじんしんか)とは何なのか調べまくりました。

全然資料もなく、有識者も近くにいない。というか、全然いない。

どうやら『占い』らしいけど、やってる占い師がそもそも見当たらない。

 

そこで私は、

「誰かが意志をもって後世へ継承しなければ、私の生きる時代でこれは途絶えてしまうのではないか」

という不安に駆られました。

 

よし、私が後世に繋げていこう!!

と使命感が生まれました。
歴史活動のため25歳で上京し、
現在、《占い師》として六壬神課を使っています。

 

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