女性には、大切な人を守る力がある――日本古来の『妹の力』とは
「大切な人が苦しんでいるのに、
私は何もしてあげられないんです」
そんな気持ちになることはありませんか。
夫が仕事で悩んでいる。
息子が大きな挑戦をしようとしている。
大切な人が人生の岐路に立っている。
何か力になりたい。
できることなら、
失敗しないように助けてあげたい。
けれど、いくら心配しても、
その人の代わりに仕事をすることはできないし、
その人の代わりに人生を歩くこともできません。
だから私たちは、ときどき思います。
「私にできることなんて、何もない」
と。
けれど古代の日本人は、
そうは考えていなかったのかもしれません。
昔の日本には、
「妹(いも)の力」
という考え方がありました。
古代の「妹」は、現代の妹だけではない
「妹」と書いて「いも」。
今なら、
年下の女きょうだいを思い浮かべます。
けれど古代では、
男性から見た親しい女性を
「いも」と呼ぶことがありました。
妻であったり、
恋人であったり、
姉妹であったり。
そして昔の日本人は、
女性には、
大切な男性を守る霊的な力がある
と考えていました。
それが「妹の力」です。
私たちは「力」と聞くと、
自分で行動すること。
問題を解決すること。
結果を出すこと。
そんな目に見える力ばかりを
考えてしまいます。
けれど古代の人たちは、
誰かを思うこと。
その人の無事を願うこと。
その人がその人の人生を
生き切れるよう祈ること。
そんな目には見えない働きも、
ひとつの「力」と考えていたのです。
ヤマトタケルを送り出した女性
その象徴として思い浮かぶのが、
ヤマトタケルと倭姫命の物語です。
東国へ遠征することになったヤマトタケルは、
伊勢にいる叔母の倭姫命を訪ねます。
勇敢な英雄として知られるヤマトタケルですが、
その心は決して強気一辺倒ではありませんでした。
危険な遠征を次々と命じられ、
「父は、自分など死んでしまえばいいと思っているのではないか」
と嘆いたと伝えられています。
強い人に見えても、
心の中では孤独だった。
戦える人であっても、
誰かに自分の弱さを受け止めてもらいたかったのでしょう。
その思いを受け止めたのが、
倭姫命でした。
倭姫命はヤマトタケルに、
のちに草薙剣と呼ばれる剣と、
火打ち石の入った袋を授けます。
そして遠征の途中、
ヤマトタケルは敵の火攻めに遭います。
周囲を火に囲まれたとき、
倭姫命から授けられた剣と火打ち石によって、
危機を切り抜けたと伝えられています。
戦ったのは、
もちろんヤマトタケルです。
倭姫命が代わりに戦場へ行ったわけではありません。
けれど、
ヤマトタケルが生きて帰るためのものを、
倭姫命は送り出すときに持たせていた。
私はこの物語に、
とても大切なことを見るのです。
「助けること」と「守ること」は違う
私たちは大切な人が悩んでいると、
「何とかしてあげなければ」
と思います。
だから、
こうしたほうがいい。
そんな仕事はやめたほうがいい。
その人とは付き合わないほうがいい。
失敗するからやめなさい。
と、つい口を出したくなります。
もちろん、
心配しているからこその言葉です。
けれど、ここには少し難しい問題があります。
心配することと、
相手の人生を自分が動かそうとすることは、
同じではありません。
愛することと、
相手を自分の思い通りにすることも、
同じではありません。
倭姫命は、
ヤマトタケルの代わりに東国へ行きませんでした。
「危ないから行くのをやめなさい」
と、その旅を奪ったわけでもありません。
彼が行くべき道を行くことを認めたうえで、
必要なものを持たせ、
送り出した。
ここに、
「妹の力」の本質があるように思うのです。
守るとは、その人の人生をその人に返すこと
大切な人ほど、
つい自分が何とかしたくなります。
それは夫婦でも、
親子でも、
恋愛でも同じです。
失敗してほしくない。
傷ついてほしくない。
遠回りしてほしくない。
だから先回りして、
危険を取り除きたくなる。
けれどそのとき、
相手の人生まで
自分が背負おうとしてはいないでしょうか。
本当に人を守るということは、
その人を囲い込むことではなく、
その人の人生を、その人に返すこと
なのかもしれません。
私はあなたを大切に思っている。
あなたが無事でいてくれることを願っている。
でも、
あなたにはあなたの人生がある。
だから、
あなたの道をあなたが歩くことを信じる。
必要なときには支える。
帰ってきたときには迎える。
けれど、
あなたの代わりにあなたの人生を生きようとはしない。
これは一見、
何もしていないように見えます。
けれど実は、
とても強い愛し方です。
「祈るだけでは意味がない」と思ってしまうけれど
現代では、
「祈ったところで何になるの?」
と思われることもあります。
確かに、
祈れば病気が必ず治るわけではありません。
祈れば事故が起きない、
という保証もありません。
現実の問題には、
現実の対応が必要です。
でも、
それと「祈ることには意味がない」ということは、
別なのではないでしょうか。
大事な仕事へ向かう朝、
「あなたなら大丈夫」
と言って送り出してくれる人がいる。
遠く離れていても、
自分の無事を願っている人がいる。
失敗して帰ってきても、
「よく帰ってきたね」
と言ってくれる人がいる。
人はそんな存在が一人いるだけで、
驚くほど踏ん張れることがあります。
自分を信じてくれる人がいる。
自分の帰る場所がある。
その感覚が、
目には見えない鎧のように
人を守ることがあります。
昔の人は、
そんな力を「霊力」という言葉で
感じ取っていたのかもしれません。
草薙剣を置いたあと、ヤマトタケルの運命は変わる
ヤマトタケルはその後、
尾張に草薙剣を置いたまま、
伊吹山へ向かいます。
そして山の神によって苦しめられ、
身体を弱らせ、
やがて命を落としていきます。
もちろん古典そのものに、
「倭姫命から授かった剣を置いたため、
女性の霊的守護を失った」
と書かれているわけではありません。
そこは、
神話に書かれていることと、
そこから私たちが何を読み取るかを
分けて考える必要があります。
けれど私は、
この展開をとても象徴的に感じます。
人はどうしても、
「自分の力でここまで来た」
と思いたくなります。
けれど本当は、
誰かが励ましてくれたこと。
誰かが信じてくれたこと。
誰かが待っていてくれたこと。
そんな目には見えないものにも、
ずっと支えられてきたのではないでしょうか。
人は、
自分一人の力だけで立っているわけではありません。
あなたは、誰かの人生を背負いすぎていませんか
鑑定をしていると、
「夫が心配で」
「子どもがこのままで大丈夫でしょうか」
「彼の将来が不安です」
といったご相談をいただくことがあります。
お話を伺っていると、
相談者自身の悩み以上に、
大切な人の人生を
必死に背負っている方も少なくありません。
心配することが悪いわけではありません。
大切だから、
心配になるのです。
でも、ときには、
「私はどこまで相手の人生を背負っているのだろう」
と見つめ直すことも必要です。
占いで見ることができるのは、
「相手をどう動かせばいいか」だけではありません。
あなた自身が、
何を恐れているのか。
なぜ手放せないのか。
どこまでが相手の人生で、
どこからが自分の人生なのか。
そんな境界線を見つめることもできます。
相手を変えるより先に、
自分の立つ場所が見えてくると、
関係が不思議なほど変わることがあります。
何もしてあげられないのではなく、信じて待つということ
もし今、
大切な誰かのことで心を痛め、
「私には何もしてあげられない」
と思っているのなら。
もしかすると、
何もできないのではありません。
その人を信じることができる。
無事を祈ることができる。
必要なときには、
帰ってこられる場所でいることができる。
そして、
相手の人生を相手に返しながら、
自分自身の人生を生きることもできます。
進む力があり、
守る力がある。
外へ向かう力があり、
静かに支える力がある。
昔の日本人は、
その両方があってこそ、
ひとつの世界が成り立つことを知っていたのでしょう。
「妹の力」とは、
誰かを支配する力ではありません。
その人の魂が、
その人本来の道を歩いていくことを信じる力。
そして必要なときには、
帰ってこられる場所であり続ける力。
そんな静かな強さなのだと思います。
もしあなたが今、
大切な人のことで苦しくなっているのなら、
一度、
相手の運命と自分の運命を
分けて見てみるのもよいかもしれません。
「私は何を背負おうとしているのか」
「本当に私がしなければならないことは何なのか」
そこが見えてくるだけで、
ずっと重かった心が
少し軽くなることがあります。
さて。
あなたがもし大切な方のことで悩んでいるなら、
あなたの「祈りの力」をどう使ったらいいのか、鑑定で明らかにしてみませんか?

