門が開く日、あなたはそこを通るのか ――雷門とライオンズゲートが教える「人生の境界」
8月8日になると、
「ライオンズゲートが開く」という言葉を目にすることがあります。
この日はエネルギーが強まる。
願いが届きやすくなる。
人生が大きく動き始める。
そんなふうに語られることもあります。
けれど、ここで一つ、
立ち止まって考えてみたいのです。
門が開くことと、
門をくぐることは同じなのでしょうか。
浅草には、
とても象徴的な「門」があります。
雷門です。
大きな赤い提灯を見上げ、
多くの人がその下をくぐって浅草寺へ向かいます。
けれど当然ながら、
雷門をくぐっただけで本堂に着くわけではありません。
そこから仲見世を歩き、
さらに宝蔵門を抜け、
ようやく本堂へと辿り着きます。
つまり、
門とは目的地ではないのです。
門は、
これから歩き始める場所です。
門が開いても、人生は勝手には変わらない
「8月8日に門が開く」
そう聞くと、
何か特別な出来事が起こるような気がするかもしれません。
急に運命が変わる。
良い出会いがやってくる。
仕事がうまくいく。
願いが叶い始める。
もちろん、
そうした希望を持つことは悪いことではありません。
けれど、
門が開いたとしても、
その前に立っているだけでは何も変わりません。
人生も同じです。
転職したい。
独立したい。
新しいことを始めたい。
人間関係を変えたい。
もっと自分らしく生きたい。
そう思いながらも、
失敗したらどうしよう。
嫌われたらどうしよう。
今の生活を失ったらどうしよう。
もっと準備が整ってからにしよう。
そう考え続けて、
門の前から動けなくなることがあります。
もしかすると人は、
閉ざされた門に苦しんでいるのではなく、
すでに開いている門の前で
立ち尽くしていることのほうが多いのかもしれません。
雷は、眠っているものを目覚めさせる
雷門の正式名称は「風雷神門」。
その名の通り、
風神と雷神が門を守っています。
雷というものは、
静けさを突然破ります。
暗い空を光が走り、
一瞬で景色が変わる。
象徴的に考えるなら、
雷とは、
眠っているものを目覚めさせる力
とも言えるでしょう。
私たちはいつの間にか、
慣れた環境の中で眠ってしまいます。
本当はもう合わなくなった仕事。
苦しいのに続けている人間関係。
ずっと違和感を覚えている生き方。
「仕方がない」
「みんなそうだから」
「今さら変えられない」
そうやって自分を納得させているうちに、
人生そのものが眠ってしまうことがあります。
そんな時、
人生には時折、雷のような出来事が起こります。
突然の別れ。
思いがけない失敗。
仕事の変化。
人間関係の崩壊。
あるいは、
「このままでいいのだろうか」
という、
小さな違和感かもしれません。
それは必ずしも、
不幸の知らせではありません。
もしかすると、
目を覚ましなさい
という、
人生からの合図なのかもしれないのです。
門をくぐるということは、何かを置いていくこと
人生の門をくぐる時、
私たちは新しいものばかりを求めます。
新しい仕事。
新しい恋。
新しい環境。
新しい自分。
けれど、
門には必ず、
「こちら側」と
「向こう側」があります。
つまり門を越えるということは、
新しい何かを得るだけではなく、
古い何かを置いていくことでもあるのです。
転職するなら、
慣れ親しんだ肩書きを置いていく。
独立するなら、
誰かに守られている安心を置いていく。
新しい恋に進むなら、
終わった関係への執着を置いていく。
自分らしく生きるなら、
すべての人から好かれようとする自分を
置いていく必要があるかもしれません。
だから、
「何を叶えたいですか」
と問う前に、
もう一つ、
大切な問いがあります。
その門をくぐるために、
あなたは何を置いていきますか。
願いを書くより先に、決めること
ライオンズゲートの日には、
願い事を書くと良いという話もあります。
もちろん、
願いを言葉にすることには意味があります。
けれど、
「こうなりますように」
だけでは、
人生は動かないことがあります。
願いの奥には、
必ず選択があります。
何を選ぶのか。
何をやめるのか。
誰と生きるのか。
何を大切にするのか。
そして何より、
今日、何をするのか。
未来は、
ある日突然こちらにやってくるものではありません。
今日の選択が積み重なって、
未来になっていきます。
だから門が開く日に考えるべきなのは、
「何が起きるのだろう」
ではなく、
「私はどの門をくぐるのだろう」
なのだと思います。
浅草の門を歩きながら
雷門をくぐる。
仲見世を歩く。
宝蔵門を抜ける。
そして本堂へ向かう。
考えてみれば、
この道のりは人生によく似ています。
門をくぐっただけでは、
まだ何も終わっていません。
そこから歩かなければならない。
人とすれ違い、
時には立ち止まり、
迷いながら進んでいく。
そして、
自分にとって本当に大切なものが
少しずつ見えてくる。
人生も同じなのかもしれません。
何かを決断した瞬間に、
すべてが完成するわけではありません。
決断とは、
ゴールではなく出発です。
門をくぐったあとから、
本当の人生が始まります。
8月8日、門の前に立ったなら
ライオンズゲートという言葉を
信じるか信じないか。
それ自体は、
それほど重要ではないのかもしれません。
大切なのは、
こうした節目をきっかけに、
自分自身へ問いかけることです。
私は、本当はどこへ行きたいのか。
何を恐れているのか。
何を握りしめているのか。
何を置いていかなければならないのか。
そして、
今日から何を始めるのか。
門の向こうから、
未来が迎えに来てくれるわけではありません。
未来とは、
自分の足で門をくぐった人が
その先で出会う景色です。
浅草の雷門は、
今日も多くの人を迎えています。
門は、
そこにあります。
開いています。
けれど、
その門をくぐるのか。
門の前で立ち止まり続けるのか。
それを決めるのは、
いつだって自分自身なのです。

