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《九重墨花》甘え方を知らない

甘え方を知らないまま、60歳になる

 

 

久しぶりに、孫の写真を偶然見た。

まだ小さかった頃の写真だった

 

なのに私は、一瞬、

「……どこの子?」

と思った。

 

 

成長して顔が変わったから、ではない。

昔の孫の写真なのだ。

 

「あれ? 私、そこまで孫に関心がなくなったんだ」

 

そう思ったら、なんだか胸に引っかかった。

 

 

でも、よく考えてみたら、関心がなくなったわけじゃない。

 

会えないから。

 

 

会いたいと思えば思うほど、寂しくなる。
寂しくなれば、傷つく。

 

だから私は、いつの間にかその気持ちを冷凍したんじゃないかと思った。

 

「恋しい」という気持ちごと、冷凍庫にしまった。

 

そうしないと、自分がつらいから。

 

 

私は幼い頃から、自分のことは自分で守るしかなかった。

 

話を聞いてくれない母だった。

 

甘えたくても、どう甘えたらいいのかわからない。

「寂しい」と言うことも、
「そばにいて」と言うことも、
「抱きしめて」と求めることも知らない。

 

そういう子どもが、そのまま大人になった。

 

そして、もうすぐ60歳になる。

 

 

最近、ふと思う。

私はずっと、甘えさせてもらえなかったんだな、と。

 

家族と同居していたときも、いろんなことがあった。

 

そして今は、その暮らしを離れて、また一人になった。

「また一人かぁー」

 

そう思ったとき、今の寂しさだけじゃなくて、ずっと昔の自分まで重なった。

 

 

どこまでいっても、私は自分で自分を守るしかないんだな。

 

そんな気持ちになった。

 

 

でも、今の私は昔の子どもとは違う。

自分で選んだ家がある。

 

好きなものを置いて、好きな色にして、好きなように暮らしている。

 

老犬イギーとエースもいる。

 

そして、これから私は新しい世界にも踏み出していく。

 

それでも。

 

 

「本当は誰かに甘えたかったな」

という気持ちは、ちゃんと残っている。

 

今まで自分で頑張ってきたからこそ、そう思うのかもしれない。

 

甘えられなかった子どもが、もうすぐ60歳になる。

 

もしかしたらこれからは、少しくらい甘えてもいいのかもしれない。

 

上手な甘え方なんて、知らなくてもいい。

 

「寂しいな」
「会いたいな」
「ちょっと聞いてよ」

 

それくらい言えるようになったら、それで十分なのかもしれない。

 

冷凍していた気持ちも、全部じゃなくていい。

少しずつ、解凍していこう。

 

60歳からでも、遅くない。

私はこれからも、自分の人生を自分で選んでいく。

 

でも、これからは何もかも一人で抱え込まない。

 

 

寂しいときは、寂しいと言う。
会いたいときは、会いたいと言う。
誰かに寄りかかりたいときは、ちゃんと寄りかかる。

 

それが、私の始める新しい甘え方。

 

甘えられなかった子どもを、もう一度、私が甘えさせてあげる。

 

60歳からの私は、ひとりで頑張るだけの人生を終える。

 

これからは、甘えることも自分で選びながら、生きていく

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