カルマは「神罰」なのか? ――同じことを繰り返す人生から抜けるために
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「どうして私に、こんなことが起きるんだろう」
人生には、ときどき、
そんなふうに思う出来事があるよね。
仕事がうまくいかない。
人間関係が壊れる。
なぜか同じような問題を何度も繰り返す。
避けたつもりだったことが、
形を変えてまた目の前に現れる。
そんなとき、
「これって、カルマなのかな」
と思うことがあるかも。
カルマという言葉には、
前世で犯した罪の報い。
逃れることのできない因縁。
神様から与えられた罰。
そんな少し怖いイメージが付き纏っている。
カルマは「罰」ではなく「結果」
カルマには、
宗教や思想によっていろんな捉え方をされてきたけど…
実は
カルマとは、原因と結果の積み重ね
と考えると、
とても分かりやすいんだよね。
上へ投げた石が、
地面へ戻ってくるように、当たり前の法則のようなもの。
何を考え、
何を言い、
何をしてきたのか。
その積み重ねには、
何らかの結果が出てくるよね。
そして、その結果は、
ただ人間を苦しくするために起きているわけではないってこと。
人間の方が原因と結果が起きてくる摂理に逆らってしまうから苦しくなってしまう。
大アルカナの運命の輪というカードがある。
運命の輪はその輪の中に居続ける限り回り続ける。
何度でもね。
課題をクリアしないと何度もやってくるのがカルマ。
すごいシステムだ。試験は一度落ちても願書を出さなければ再チャレンジは無いが、
このカルマシステムの場合、何度でも再チャレンジが自動化されている。
ありがたいような、ありがたく無いようなシステムだが、
この世の理とはそうなっているらしい。
同じような人に惹かれて同じような別れ方をする…。
同じような仕事の失敗がまた繰り返される。
そんな時、どうしたらいい?
答えはシンプル。
ただひたすら自分の感情を見る
それだけ。
でも、それができないんだよね。
お稽古として、トレーニングとして何度も取り組むしかない。
カルマシステムは魂のトレーニングシステムなのだ。
「私は罰せられている」
と思っている間は、被害者意識が増幅されて同じことが起きる。
でも、
「この出来事から、何を得るのか」
と問いを変えると、
同じ出来事でも、感じ方が大きく変化するはず。
逃げた課題は、形を変えて戻ってくる
カルマシステムは「天網恢恢疎にして漏らさず」
避けてきたことほど、
別の姿になって戻ってきます。
お金を見るのが嫌だったのに、
仕事で数字を扱うことになる。
人を育てることが苦手だったのに、
後輩や部下を任される。
人との対立が怖くて、
いつも言いたいことを
飲み込んできた人が、
職場を変えても、
パートナーを変えても、
また同じように、
「言いたいことを言えない関係」
を作ってしまう。
頼まれると断れない人なら、
相手が変わっても、
また引き受けすぎて疲れてしまう。
そして最後には、
「私はこんなにやっているのに!」
と怒り始める。
「我慢の請求書」を発行しはじめる。
本当は嫌だった。
本当は断りたかった。
本当は助けてほしかった。
でも何も言わずに引き受け続け、
限界になったところで、
「あれだけしてあげたのに」
と相手へ請求する。
もし、
嫌なのに引き受ける
↓
我慢する
↓
限界になる
↓
相手を恨む
という型が自分の中にあるのなら、
相手だけを変えても、
同じことが繰り返されことに。
非常に親切なシステムです。(苦笑)
前世の「心当たり」を探さなくていい
では、
同じような問題が繰り返されるとき、
「前世で私は何をしたんだろう」って考えがち。
でも、そこへハマりすぎないほうがいいと思う。
なぜなら人は、
理由を探そうと思えば、
いくらでもそれらしい物語を
作ることができるからです。
「あのとき、あの人を傷つけたから」
「昔こんなことをした報いかもしれない」
「先祖の因縁なのでは」
「前世で何かあったのでは」
どれも、
証明することは難しい。
でも人間は、
ストーリーを与えられると、
それだけで妙に納得してしまうことがあります。
そして、
「これはカルマだから仕方がない」
となってしまったら、
今度はカルマそのものに
責任を預けてしまいます。
なんでも祟りのせいにするのと、
あまり変わりません。
カルマを作るのは、大事件だけではない
カルマというと、
誰かを騙した。
大きな嘘をついた。
人をひどく傷つけた。
そんな大きな出来事を
想像するかも。
でも、
人生をつくっているのは、
もっと小さな習慣なんですよね。
人の話を最後まで聞かない。
頼まれると断れない。
その場にいない人の悪口を言う。
都合が悪くなると連絡を切る。
お金の話を見るのが嫌で、
ずっと先送りする。
不満があっても言わず、
心の中だけで
相手を責め続ける。
一回なら、
それほど大きなことではありません。
けれど、
それを十年、二十年と続ければ、
人間関係にも、
仕事にも、
お金にも、
一定の「型」が出来上がります。
つまり、
人生をつくっているのは、
劇的な一回より、
日々無意識に繰り返している小さな選択なのです。
まずは「自分を見る」
だから、
人生に同じ問題が何度も現れたとき、
最初にやることは、
自分を責めることでも、
誰かを責めることでもありません。
自分を見ること。
私は、
こういう場面になると、
いつも何を考えるのだろう。
何を言うのだろう。
何をしてしまうのだろう。
または、
何を言わず、
何をしないままにしているのだろう。
「あの人が悪い」
でもなく、
「全部私が悪い」
でもない。
ただ、
「私はこういう場面になると、
いつもこの反応をするんだな」
と見る。
これが内省です。
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