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人が人を育てるということ

生花、書道、茶道、武道。

日本の伝統的な習い事には、今も昔ながらの師弟関係や、先輩後輩の文化が残っています。

先に入った人を立てる。

挨拶をする。

言葉遣いを整える。

道具を丁寧に扱う。

先生や先輩への接し方にも、さまざまな作法があります。

今の感覚からすると、

「少し面倒だな」

と感じることもあるかもしれません。

けれど、こうした文化の中で育てられてきたのは、技術だけではなかったのだと思います。

上に立つほど、責任を持つ

昔の先輩後輩の関係には、

「先輩の言うことを聞く」

という面だけではなく、

先輩は後輩を見る

という役割もありました。

困っていたら声をかける。

分からなければ教える。

失敗したら支える。

そして、立場が上になるほど、背負う責任も大きくなっていく。

かつての日本の会社にも、

「部下の失敗は上司の責任」

という感覚が、今より強くあったように思います。

部下は失敗から学び、

上司は責任を引き受けることで成長する。

そこには、

仕事を教えるだけではなく、人が人を育てていく

という文化がありました。

昔がすべて良かったわけではない

もちろん、昔の上下関係がすべて良かったわけではありません。

「修行だから」

「あなたのためだから」

という言葉のもとで、理不尽なことが正当化されてきた面もあります。

怒鳴る。

人格を否定する。

無理を強いる。

こうしたことが「指導」とされてきた時代へ、戻る必要はありません。

パワハラやモラハラという言葉が生まれたことで、人の尊厳を守る意識が広がったのは、とても大切なことです。

ただ、その一方で、

人と深く関わることそのものを避ける空気

も少し強くなっているように感じます。

余計なことを言わない。

注意もしない。

本人の問題だから、と距離を取る。

それは一見やさしさにも見えますが、ときには無関心にもなります。

人は、人との関わりの中で自分を知る

私たちは、自分一人では気づけないことがあります。

考え方の癖。

人との接し方。

いつも同じところでつまずくこと。

本当はできるのに、自分で限界を決めていること。

そんなとき、

「私はこう見えるよ」

「そこは少し違うかもしれないね」

と伝えてくれる人がいることで、初めて見えるものがあります。

もちろん、何を言ってもいいわけではありません。

大切なのは、

相手を変えようとするのではなく、相手への敬意を持って関わること。

なのだと思います。

礼儀とは、相手を大切に扱うこと

礼儀というと、堅苦しく感じることがあります。

けれど私は、

「あなたを雑に扱いません」

という意思を形にしたものでもあると思っています。

挨拶をする。

ありがとうと言う。

相手の時間を大切にする。

教えてもらったことに感謝する。

後から来た人を気にかける。

一つひとつは小さなことです。

けれど、そうした小さな積み重ねが、

人と人との間に敬意のある空気をつくっていく。

のではないでしょうか。

人を育てる人もまた、育てられる

これからの時代に必要なのは、昔の徒弟制度へ戻ることではありません。

理不尽さや支配は手放しながら、

その中にあった、

責任、敬意、継承

をもう一度見直してみてもいいのではないかと思います。

誰かを育てるとは、

正しい答えを教えることでも、

自分の価値観を押しつけることでもありません。

その人が、その人自身の力で考え、選び、自分の人生を歩いていけるように関わること。

そして不思議なことに、

誰かと本気で関わろうとすると、

自分自身の未熟さも見えてきます。

だから、

人を育てる人もまた、その関係の中で育てられていく。

師弟でも、

親子でも、

上司と部下でも、

友人同士でも。

人は、人との関わりの中で少しずつ磨かれていく。

傷つけないために距離を取ることだけではなく、

支配せず、無関心にもならず、

相手を一人の人間として大切にしながら関わること。

そんな関係を、これからの時代にも残していけたらと思います。

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